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信仰の実践

 個人や家族の幸せはもちろん、社会の浄化など、すべての功徳・利益は、正しい御本尊に対する信仰によって生まれます。この信仰とは、信・行・学の実践をいいます。

 

 とは、御本尊に対する信仰心です。

 とは、信心を確立するための修行です。この行には自行・化他行の2つが含まれます。

 とは、仏法を学ぶことです。

 

自行と化他行

 宗祖日蓮大聖人は、

「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候」(諸法実相抄 新編668頁)
と仰せられ、信心を根本とした行・学の二道に励むことの大切さを教えられています。

 「行」とは修行をいい、自行と化他行があります。

 自行とは自身の成仏のために行ずる勤行唱題などをいい、化他行とは他の人を教化・化導することをいいます。また「学」は、大聖人の教義を正しく理解し、信心修行を深めるために仏法の道理を学ぶことをいいます。

 日蓮正宗においては、これら自行化他の実践を仏道修行の基本とするのです。

 

登山と寺院参詣

 日蓮正宗においては、総本山大石寺を本寺とし、総本山に連なるすべての寺院・教会を末寺とします。

 末寺は総本山の出城であり、地域における信仰の中心道場です。ここには、本門戒壇の大御本尊のお写 しである常住御本尊が安置され、御法主上人の代理として住職・主管が常駐し、御報恩御講をはじめとする年中行事を執り行い、信徒の教導にあたっています。

 

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総本山大石寺への登山とは?

総本山への登山

 日蓮正宗では、総本山大石寺に参詣することを「登山」といいます。

 総本山大石寺は、一切衆生の成仏の根源である本門戒壇の大御本尊と、日蓮大聖人以来の唯授一人の血脈を所持する御法主上人まします一閻浮提<いちえんぶだい>第一の霊場です。

 登山の本義は、大聖人の御当体である本門戒壇の大御本尊を内拝させていただき、御法主上人の大導師のもと、正法興隆による人類の恒久平和・広宣流布を祈り、さらに自身の無始以来の謗法罪障消滅と現当二世にわたる大願成就を願うことにあります。

 この大御本尊内拝を「御開扉<ごかいひ>」といい、本宗信仰者に限り、御法主上人の許可を得て受けることができます。大聖人御在世当時の信徒は、日蓮大聖人を渇仰し、お目通りできる喜びを胸に、交通不便ななかを歩み、困難を押して登山されました。鎌倉在住の日妙尼は、女性の身でありながら道中の危険も顧みず、佐渡に配流されていた大聖人を慕ってお目通りを願い、また佐渡在住の阿仏房は、90歳という老体にもかかわらず、身延の大聖人のもとへ数度にわたって参詣しています。長い道中を経てお目通りが叶った信徒たちは、大聖人に少しでも御奉公申し上げたいとの一念から、薪を切ったり、菜を摘んだり、沢へ下って水を汲むなど、真心からのお給仕に励まれたと伝えられています。これらはまさに、法華経に説かれる「心懐恋慕<しんねれんぼ>・渇仰於仏<かつごうおぶつ>」との求道心からくる信心の行体であり、ここに登山の基本精神があるのです。

 大聖人は、登山の功徳について、

「毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥<いよいよ>はげむべし、はげむべし」(四条金吾殿御返事 新編1502頁)
と仰せられ、その信心を励まされています。

 

 

THE PRACTICE OF FAITH IN NICHIREN SHOSHU

 Needless to mention individual wishes answered, the happiness of one's family granted, but on a much larger scale, countless people are emancipated from their sufferings national and social justice and prosperity fostered; all the benefits and the attainment of Buddhahood of all mankind originating from the True Law and True Law and True Teachings of Nichiren Daishonin are brought forth through the noble practice of faith in the Supreme Object of Worships, the Gohonzon.

 There are three essential elements to our practice-"faith", "practice" and "study".

 The first requisite "faith" involves placing absolute trust in the Gohonzon and in the teachings of Nichiren Daishonin; and along with this, it is necessary to have absolute confidence in the validaty of one's practice in the Supreme and Only True Law. The second point "practice" begins with one's resolution to practice sincerely, followed by doing morning and evening Gongyo every day to the Gohonzonm and chanting the Daimoku of Nam-Myoho-Renge-Kyo in order to purify one's life.

 Next we share with our family, relatives, acquaintances and friends the greatness and the profundity of the Daishonin's teachings, pray for the happiness of all mankind, and together with other believers we strive to make advancement in faith and work toward mutual prosperity. The third and the final requisite "study" means to study the teachings of Nichiren Daishonin.

 Through the study of Nichiren Daishonin's Writings, the Gosho, as well as through the various sermons preached by the successive High Priests, one deepens the understanding of the Buddhist teachings transmitted down since The Daishonin's time so as to highten the joys of practicing true faith and to elevate the life condition of one's faith.

 The fulfillment of the above three noble requisites of practice, without doubt, assures one to realize one's individual wishes as well as promises one's family of happiness and prosperity in the two existences of present and future.

 

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