日蓮正宗について

東京・南池袋にある法道院は、日蓮正宗の寺院です。

日蓮正宗は、宗祖日蓮大聖人にちれんだいしょうにん末法まっぽう御本仏ごほんぶつ(※)として仰ぎ、その教えを今日まで正しく守り伝えています。日蓮大聖人は、仏像などを本尊ほんぞん(信仰の対象)とするのではなく、久遠本仏くおんほんぶつとしての御内証ごないしょうを一幅の大曼荼羅本尊だいまんだらほんぞんとしておあらわしになりました。そして、その御本尊を信じて「南無妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょう」の御題目おだいもくを唱えることで、誰もが真の幸福を得られると説かれたのです。

では、なぜ「南無妙法蓮華経」の御題目を唱えることで、誰もが真の幸福を得られるのでしょうか? そして、なぜ日蓮大聖人が末法の御本仏と言われているのでしょうか? それを理解するにはまず、仏法について知る必要があります。

※ 末法の御本仏:末法という時代(後述)に出現される、民衆を救済する真実の仏様

因果いんが道理どうり
説いている仏法

仏法では、人間なら誰もが直面する生老病死しょうろうびょうしなどの苦しみを根本的に解決する道を示しており、その根底に「因果の道理」を説いています。

因果の「因」とは原因、「果」とは結果のこと。今日でも「因果関係」という言葉があるように、物事の結果には、それが生じる原因が必ずあります。それは、人間の生命も例外ではありません。私たちは皆因果の道理に従っており、現在の境界きょうがいは過去の自分の言動による結果であり、将来の境界は現在の自分の言動により決まるのです。

因果の道理を正しく説き明かした宗教によって、自分自身の内面に健全な生命を確立し、深い知恵と強い心を養うことが真の幸福につながっていく──これが基本的な考え方であり、道理に合わない教えを説く宗教とは根本的に違う部分です。

50年にわたり
悟りの境地を
伝えた釈尊

仏法を説かれたのは、釈尊しゃくそん(お釈迦様)です。

釈尊は、紀元前1000年頃にインドでお生まれになりました。日蓮大聖人による宗旨建立しゅうしこんりゅう(立宗宣言)は、鎌倉時代の建長けんちょう5年(1253年)。現代を生きる私たちにとって鎌倉時代は800年ほど前の大昔ですが、そこからさかのぼっても釈尊の時代は2000年以上前と、さらに大昔のことなのです。

では、なぜ釈尊は人々に教えを説かれたのでしょうか?

釈尊が教えを説かれた理由は、悩み苦しむ人々を救うためです。釈尊は少年期より思索にふけることが多く、次第に人生の無常などを考えるようになり、19歳の時、かねて念願していた出家の志を果たすため、修行の道に入りました。

長年の修行を経て、釈尊が悟りの境地を得たのは30歳の時。その後、80歳で御入滅ごにゅうめつ(お亡くなりになること)するまで50年にわたって、人々に悟りの境地を伝えるためにさまざまな教えを説かれ、8万4千とも言われる膨大な数のお経を残されました。

最高かつ唯一の教え
“法華経”

釈尊が残されたお経は、説かれた時期によって5つに分けることができます。

これは仏教用語で「五時ごじ」と呼ばれ、それぞれ「華厳時けごんじ」「阿含時あごんじ」「方等時ほうどうじ」「般若時はんにゃじ」「法華ほっけ涅槃時ねはんじ」といいます。その中でも、72歳から御入滅までの8年間にわたる「法華・涅槃時」で説かれた法華経こそが、釈尊が最も伝えたかった最高の教えです。

たとえば、法華時以前に説かれたお経では、女性や二乗にじょう(自分の解脱げだつばかり考え、利他の心がない人など)は成仏できないとされていました。しかし法華経が説かれたことで、誰もが平等に成仏できることを約束されたのです。

釈尊は、法華経こそが最高の教えであり、それ以前に説かれたお経は、法華経に導くための準備段階の教えで、方便ほうべん(仮の教え)であるから用いてはならないということを「四十余年未顕真実しじゅうよねんみけんしんじつ」(無量義経)や「正直捨方便しょうじきしゃほうべん」(法華経)というお経文で明らかにされています。

末法御本仏
として出現された
日蓮大聖人

法華経は二十八品にも及ぶ長いお経ですが、大きく2つの目的を持って説かれています。1つは、釈尊が生きた時代の人々を成仏させること。そしてもう1つは、末法という時代に、法華経の肝心かんじんである「南無妙法蓮華経」をひろめる御本仏が出現されると明かすことです。

それでは、末法とはどのような時代でしょう?

そのことはさまざまなお経で説かれておりますが、釈尊の御入滅後は、正法しょうぼう時代、像法ぞうぼう時代、末法時代という3つの時代が来るとされています。

正法時代とは、釈尊の教え・修行・悟りが正しくそなわり、仏道を求める衆生しゅじょう(この世に生きるすべてのもの)も過去に善根ぜんこんを積んでいたので、釈尊の教えによって悟りを得ることができた時代。像法時代とは、釈尊の教えや修行がわずかに残ってはいるものの、悟りを得ることができず、形だけが正法にた時代。末法とは、人心の悪化や天災が相次ぎ、釈尊の教えでは人々が救えなくなる末世法滅まっせほうめつの時代です。

この3つの時代の長さは「正法千年」「像法千年」「末法万年」とされています。つまり、釈尊の御入滅から2000年が経つと、末法時代になってしまうのです。

末法時代には、上行菩薩じょうぎょうぼさつをはじめとする地涌じゆの菩薩(無数の菩薩)が法華経の肝心を弘める使命を持って出現され、さらに、上行菩薩は凡夫ぼんぷ(普通の人間)の姿をした行者であると法華経では示されています。また、その人物は法華経の肝心を弘めるがゆえに数々の迫害や命に及ぶ難に遭うとされ、その予言そのままに示されたのは日蓮大聖人ただお一人なのです。