総本山大石寺たいせきじについて

日蓮正宗の総本山・大石寺。

富士山麓に拓かれたこの美しい大寺院は、日蓮大聖人にちれんだいしょうにんに仏法の一切を付嘱された第二祖白蓮阿闍梨びゃくれんあじゃり日興にっこう上人によって正応しょうおう3年(1290年)10月12日に開創されました。ここでは大石寺開創の経緯とともに、その境内を詳しくご紹介します。

本門弘通ほんもんぐずうの大導師日興上人

弘安こうあん5年(1282年)日蓮大聖人は御入滅ごにゅうめつに先立ち、本弟子6人の中から日興上人を後継者と定められ、本門戒壇ほんもんかいだん大御本尊だいごほんぞんをはじめとした仏法の一切や、晩年を過ごされた身延山久遠寺みのぶさんくおんじ別当べっとう(住職)の地位を託されました。そして大聖人の葬儀の一切は、日興上人が御遺命ごゆいめいのとおり、一切の儀式の総指揮を執られました。身延に入山後も本門弘通(南無妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょうの仏法をひろめること)の大導師として大御本尊を守護されるなど、一切の指揮を執られていたのです。

しかし、日興上人と同じく日蓮大聖人の本弟子だった他の5人の僧侶(五老僧)は、日蓮大聖人の本意を正しく受け入れられずにいました。日興上人は、日蓮大聖人の墓所を月ごとに輪番で守護するよう定められましたが、五老僧は当番の月に登山しないどころか、第一周忌や第三回忌の法要にすら参詣しない有様だったのです。

謗法ほうぼう厳戒と身延離山、
そして大石寺創建へ 

そんな状況の中、五老僧の1人である民部日向みんぶにこうが身延に登山してきました。日興上人は大変喜ばれ、日向を学頭に任じましたが、日向は徐々に自分勝手な言動をとるようになり、日蓮大聖人の正義しょうぎもないがしろにするようになっていきます。さらに、日向にそそのかされた甲斐国かいのくに波木井郷はきいごう(現在の山梨県身延町)の地頭(鎌倉幕府が任命した地方の管理職)である波木井実長はきりさねながも日興上人に背くようになりました。日興上人は日向らに謗法(正しい教えに背いて反発すること)をやめるよう何度も訓誡したにも関わらず、彼らは聞く耳を持たず、ついには身延の霊地も謗法の山となってしまったのでした。

このままでは日蓮大聖人の教えが謗法にまみれてしまう──そう危惧された日興上人は正応しょうおう2年(1289年)の春、本門戒壇の大御本尊をはじめ、日蓮大聖人の御霊骨、御書などの重宝とともに身延からの離山を決意されます。この身延離山は、直接的には日向らの謗法が契機となりましたが、その真意は、日蓮大聖人の「富士山に本門寺の戒壇を建立こんりゅうせらるべきなり」という御遺命にありました。

正応3年(1290年)10月12日。日興上人は、駿河国するがのくに富士上野ふじうえの(現在の静岡県富士宮市)の地頭で、日蓮大聖人以来の大檀那だいだんなである南条時光なんじょうときみつから寄進された富士山麓の大石ヶ原おおいしがはらに「大石寺」を創建しました。以来700余年、日蓮大聖人の仏法は、一器の水を一器にうつすように、大御本尊をはじめとする仏法の一切を、歴代の御法主ごほっす上人ただ一人のみに授ける「唯授一人ゆいじゅいちにん血脈相承けちみゃくそうじょう」によって守られ、今日まで正しく受け継がれています。

大石寺は、正応3年(1290年)の開創から700余年の間に多くの堂宇が建立されています。その一部を、美しい写真とともにご紹介します。

奉安堂

第六十七世日顕にっけん上人の発願により、平成14年(2002年)に建立されました。ここには日蓮大聖人の出世しゅっせ本懐ほんがいである、本門戒壇の大御本尊が厳護されています。日本の伝統的寺院建築としては類を見ない規模の建物で、間口75メートル・奥行き116メートル・高さ55メートルを誇り、堂内には5千余の信徒席が設けられています。

三門

静岡県の有形文化財指定

第二十五世日宥にちゆう上人の発願により、徳川六代将軍・徳川家宣いえのぶと同夫人である天英院てんえいいんの寄進によって、享保きょうほう2年(1717年)に完成しました。規模は東海地方随一で、昭和41年(1966年)には静岡県の有形文化財に指定されています。平成28年(2016年)からは、日蓮大聖人御聖誕800年の慶祝記念事業の一環として、5年にわたり大改修工事が行われ、令和3年(2021年)に「総本山三門大改修並びに諸堂宇修復完成奉告法要」が奉修されました。

御影堂みえいどう

静岡県の有形文化財指定

正応3年(1290年)に第二祖日興上人によって創建され、徳川家康のひ孫にあたる阿波国あわのくに徳島藩の初代藩主・蜂須賀至鎮はちすかよししげの夫人の敬台院きょうだいいんの寄進によって再建されました。ここには、嘉慶かけい2年(1388年)に仏師・越前法橋えちぜんほうきょう快恵かいえがつくった日蓮大聖人の等身大の御影が安置されています。昭和41年(1966年)には静岡県の有形文化財に指定されました。

客殿

寛正かんしょう6年(1465年)に第九世日有にちう上人により創建されました。以来、数度にわたり再建が行われており、現在の建物は第六十七世日顕上人により平成10年(1998年)に新築されたものです。ここでは歴代の御法主上人が、毎日丑寅うしとらの時刻(午前2時半)に広宣流布こうせんるふ(日蓮大聖人の仏法を正しく弘め伝えること)祈念の勤行を行われています。

五重塔

国の重要文化財指定

第二十六世日寛にちかん上人が天英院とともに起塔の志を立て、五代にわたって歴代の御法主上人が意思を継がれた後、第三十一世日因にちいん上人の代である寛延かんえん2年(1749年)に完成しました。昭和41年(1966年)には国の重要文化財に指定されています。
大石寺の五重塔は、西向きに建てられています。これは、釈尊しゃくそんの仏法がインドから中国を経て日本へ、つまり西から東に伝わってきたのに対し、末法まっぽうにおいては日蓮大聖人の仏法が東から西に向かって流布していくという意義が込められています。

大石寺のより詳細な情報は、日蓮正宗
公式サイトでご確認ください。
https://www.nichirenshoshu.
or.jp/jpn/taisekiji.html