信仰の実践について

私たちの人生は人それぞれ差があるとはいえ、 苦悩に満ちているといえます。
仏教ではその苦悩の源を、心をかき乱す「煩悩」にあると説いていますが、日蓮正宗と他宗で大きく異なっているのは、煩悩に対する向き合い方です。他宗の多くは、煩悩は「つ」ものだと教えているのに対し、日蓮大聖人にちれんだいしょうにんの仏法では、煩悩は断つものではなく「悟りの心に転じさせる(煩悩即菩提ぼんのうそくぼだい)」ものだと教えています。

なぜこのような違いがあるのでしょうか。それは日蓮大聖人の仏法が、私たちの生きる「末法まっぽう時代」における唯一の正しい信仰であるからです。

私たちが生きる目的は「本当の幸せを得る」こと、すなわち、即身成仏そくしんじょうぶつ凡夫ぼんぷの命のままで成仏すること)という最高の幸福境界きょうがいを確立することであり、そのためには、時代に適した正しい信仰を実践する必要があります。

そこで、ここでは末法時代における唯一の正しい信仰、日蓮正宗の修行の基本とその準備についてご紹介します。

謗法ほうぼう払い
謗法払いとは、日蓮正宗に入信するにあたり、他宗の本尊や仏像、念珠、経典、他宗教の神棚やお守り、十字架、また、ダルマや七福神、熊手、招き猫、破魔矢などを処分することをいいます。それらは謗法物といい、人を救うどころか、正法しょうぼうの信仰を惑わし、人を不幸にする魔の働きがあるからです。日蓮正宗の信仰を通じて、即身成仏という最高の幸福境界を確立するにあたり、修行の妨げになるものは手放します。
御授戒ごじゅかい
入信者は謗法払いの後、日蓮正宗寺院で御僧侶から御授戒を執り行っていただきます。御授戒とは、一切の謗法を捨てて日蓮大聖人の教えを信じ、正しい御本尊を受持して信行しんぎょうに努めることを誓う儀式です。「戒」とは防非止悪ぼうひしあく勧善止悪かんぜんしあくの戒律のことで、日蓮正宗の唯一の戒である「金剛宝器戒こんごうほうきかい」は、末法時代における真の戒として、一度受持すれば永遠に破られることなく、その人の生命に存続します。そのため、たとえ退転して悪道に堕ちたとしても、その人は戒の功徳くどく(ご利益)によって再び妙法に縁し、成仏を遂げることができるのです。
御本尊ごほんぞん御安置
各家庭に御安置する御本尊は、成仏得道じょうぶつとくどうに不可欠な功徳の根源です。御授戒後、本人が御本尊を御安置できる状況であれば、願い出によって下付かふ(総本山・大石寺たいせきじから所属寺院を通して御貸し下げされること)されます。家庭に御本尊を御安置することは、生身しょうしんの日蓮大聖人をお迎えすることと同じであり、真心からのお給仕を心がけることが大切です。なお、御本尊の御安置には仏壇が必要ですが、大きさや機能などにとらわれる必要はありません。具体的な設置場所などは、紹介者や寺院に相談しながら進めましょう。
勤行ごんぎょう
勤行とは「勤めて善法ぜんぽうを行うこと」を意味し、日蓮正宗の勤行では、正しく受け継がれている御本尊に向かって法華経の『方便品ほうべんぽん第二』と『如来寿量品にょらいじゅりょうほん第十六』を声に出して読み、「南無妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょう」の御題目おだいもくを唱えます。勤行はすべての修行の根本であり、幸福な生活を築く原動力となるため、毎日欠かさず実践することが大切です。仏法僧への報恩ほうおん感謝を申し上げ、広宣流布こうせんるふ(日蓮大聖人の仏法を正しくひろめ伝えること)をはじめとした諸願成就を御祈念するとともに、先祖への真の追善ついぜん供養を行いましょう。
毎日の勤行がきちんと実践できていると、
・心身ともに、すっきりと快調になる
・私生活も、仕事・学校生活も不思議とスムーズに進む
・難しい状況や心配なことも悠々と乗り越えていける
といった功徳を実感できます。これは、真剣な勤行の実践によって御本尊から功徳をいただき、生命力があふれてくるからです。
唱題しょうだい
唱題とは、日蓮正宗の御本尊を信じて「南無妙法蓮華経」の御題目を唱えることです。勤行で法華経の『方便品第二』と『如来寿量品第十六』を声に出して読むのは、唱題の功徳を助けあらわすための助行じょぎょうであり、唱題こそが正行しょうぎょうとなります。御本尊を信じて唱題すると私たちに備わる仏性ぶっしょうが顕れ、御本尊と境智冥合きょうちみょうごうして一体となり、即身成仏できるのです。なお、唱題は他の人々を折伏教化しゃくぶくきょうけ(詳細は下記参照)し利益する功徳をも備えているため、勤行時以外でも、より多く唱題することが大切です。
折伏しゃくぶく
折伏とは、正しい仏法を知らない人や信仰していない人などに、不幸や苦悩の原因が誤った思想・宗教にあることを教え、日蓮大聖人の仏法こそが真実の幸福を得る道であることを説き示す行為です。日蓮大聖人は『開目抄かいもくしょう』というお書き物の中で「邪智じゃち・謗法の者の多き時は折伏をさきとす」と示されており、謗法の者が多い末法の時代は弘教の手段に折伏を用いると定められています。すべての人々に即身成仏という最高の幸福境界をもたらす折伏は、ひいては世の中を清らかで穏やかな世界にしていくという目的を持った、尊い慈悲の振る舞いと言えるでしょう。