病気を治したい
信じていたのは、
生命いのちのちから。

体験者:R. Yさん
職 業:主婦
年 齢:65歳(体験当時)

R. Yさんは、65歳の時に難病を患います。

幼い頃から風邪さえひいたことがなかったR. Yさんはその事実を受け入れがたく、
病院に通えば通うほど、気力、体力ともになくなっていきました。

しかし、日蓮正宗の総本山・大石寺たいせきじへの参詣さんけいや、良いお医者さんとの出会いなどを通じ、
改めて日蓮大聖人にちれんだいしょうにんの教えを真剣に実践しようと決意したことで、徐々に変化が表れます。

毎日の信仰の実践によって生命を磨き、自然治癒力を高めることで、見事に難病を克服したR. Yさん。
信仰を続けることで、明日につながる道を見つけたのです。

体験談の途中にある仏法解説も併せてご覧ください。

※ この体験談の詳細については、法道院機関紙『法之道』第1482号をご覧ください。

私が体調に異変を感じたのは、65歳の時でした。

ある朝、起きた時に目の周りがひどくむくんでいたのです。幼い頃から風邪さえひいたことがなく、毎日健康に過ごしてきた私にとって、それはあまりにも唐突な異変でした。

最初は疲れが出たのかと思い、特に気にせず過ごしていました。しかし、むくみは治まらないどころか、だんだんと体の怠さが増し、食欲もなくなっていきました。いくつかの病院で診察してもらったものの、病名はおろか、原因も不明。ある病院では精神的なものからくる不調と診断され、心療内科に回されそうになったりもしました。

そういったやり取りが続き、不安ばかりが募っていた時です。最初にむくみを感じた左目が見えにくくなっていたことに気づき、私は、藁にもすがる思いで近所の小さな病院の眼科を受診することにしました。

今度も、原因が分からないまま帰ることになるのかな──内心、そう思っていました。しかし担当されたお医者さんは、私の目を診るなり「これはぶどう膜炎という症状ですね。放置すると失明します」とおっしゃったのです。

なんと、いろいろな病院を回っても分からなかった不調の正体がすぐに判明しました。後から聞いた話によると、そのお医者さんはぶどう膜炎を専門に研究されており、しかも普段は大学病院に在籍しているため、近所の病院には時々しかいらっしゃらないとのことでした。

失明を免れるギリギリのタイミングでの不思議な出会い。これはまさに、御本尊ごほんぞん様が護ってくださったからこその出会いだと心から感謝しました。

しかし、本当に大変なのはここからでした。

ぶどう膜炎の原因は、体に肉芽腫にくげしゅ(こぶ)ができてしまうサルコイドーシスという難病にあると判明したものの、風邪さえひいたことがない私にとって、聞いたこともない病気にかかってしまったという事実は受け入れがたく、ひどく落ち込んでしまいました。病院に通えば通うほど、気力、体力ともになくなっていくのです。

食欲はますますなくなり、体重も10キロ近くダウン。毎日の朝夕に行う勤行ごんぎょう(御本尊に向かって法華経ほけきょうを声に出して読み、「南無妙法蓮華経なんみょうほうれんげきょう」の御題目おだいもくを唱えること)の時でさえ、体を支えていることができず、座っているのがやっとという状態になってしまいました。

なぜ、正しい信仰をしているのに
難病を患ったのか?
ごう

仏法には「業」という教えがあります。業とは「行為」のことで、身業しんごう(身体で行うこと)、口業くごう(口でしゃべること)、意業いごう(心で思ったり考えたりすること)の3つに分けられます。あらゆる生命は過去世から身・口・意に基づいて行う善悪すべての行為を、それぞれの生命に積み重ねていきます。
つまり、たとえ生まれた時から正しい仏法を信仰していたとしても、過去世で積んだ自分自身の業の果報によって、病気にかかることもあるのです。
しかし、仏法では苦しみを生む悪業あくごうは、善業ぜんごう(正しい信仰の実践)を積むことによって消滅させ転換することができ、幸せになれると説いています。

良い方向へ変化し始めたのは、症状が出始めてから3ヵ月ほど経った時のこと。日蓮正宗の総本山である、大石寺に参詣してからです。

参詣前は、大石寺のある静岡県まで行けるのかすら分かりませんでした。しかし、少々無理をしてでも、と、本門戒壇ほんもんかいだんの大御本尊様に御目通おめどおりしたところ、不思議と元気が湧き、また、状況も大きく変化していきました。

変化の1つは、主人が友人からサルコイドーシスの権威と言われるお医者さんを紹介していただいたことです。さらにそのお医者さんは、現在の私につながる一言をかけてくださいました。それは「サルコイドーシスはやっかいな病気だけれど、実は自然治癒力で治すのが一番いいんです」という言葉でした。

その言葉を聞いて、私と主人は思いました。「自然治癒が一番いいということは、信仰を頑張って、その生命力で克服しなさい」ということではないか──と。

それから毎日、私は朝夕のお経と南無妙法蓮華経の御題目を一生懸命に唱え続け、また、人の幸せを願い、正しい信仰を伝えていく「折伏」という仏道修行に励みました。

すると不思議なことに、御題目をたくさん唱えた後に検査を受けると、とても良い結果が出るのです。諸事情から入院しなかったにもかかわらず、処方されていた薬も服用せずによくなるほど体調が良くなっていく私の姿を見て、お医者さんも「本当に自然治癒だけで回復するかもしれません」と驚かれるほどでした。そして、お医者さんがそうおっしゃってくれることが本当にうれしくて、ますます元気が出てくるようになりました。

発症から2年後、私はついに難病を克服でき、お医者さんから「もう通院しなくてよい」と言っていただき、大変うれしく思いました。

なぜ、難病を克服できたのか?
生命

本来、人には病気を自然に治癒する能力が備わっており、それを高めることによって病気を治癒させることが可能です。この治癒能力とは、体力・免疫力・気力・精神力などと捉えることができますが、その根源を支えるものは、その人が持つ「生命」に他なりません。

日蓮大聖人は『太田左衛門尉おおたさえもんのじょう御返事』というお書き物の中で「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」と示されており、法華経、つまり日蓮大聖人が説かれた南無妙法蓮華経の御題目こそが、病を克服する最上最善の薬であると示されています。R. Yさんは、日蓮大聖人の教えを実践し、自分自身の生命を磨くことで、自然治癒力を高め、難病を完治させるに至ったのです。

このような良いお医者さんに出会えたのは本当に功徳くどく(ご利益)だったと御本尊様に感謝しています。また、小さい頃から健康だった私は、この病を通じて、日々を生きる喜び、そして、御題目を唱えられる喜びに改めて気づくことができました。

これからも御題目を唱え、私の体験を多くの方に伝えていきたいと思っています。